2026.06.24

日記をZINEにして売る、ということは多分自分はしないだろうと思っているが、その行為はこうやって日記を公開することと果たしてどこまで違うのだろうかと考えてみる。前者は少なからず金銭が入る可能性もあるが、それはあまり関係がない。雀の涙どころか赤字だろうし。ここで重要としたいのは心理的な報酬。ZINEとして特定の文脈で配布されることはそのプロセスを踏むこと自体の喜びがあると思う。Web上で漂うばかりであった私的な文章が印刷され、製本され、ZINEとして物質化し、即売会やWebショップいった商取引のコンテキストの場を通じて人々の間を行き交うようになる。そう考えると金銭は関係ないとも言い切れない。Name Your Priceでも値付けをすることで、執筆という連続的な行為が切り出されて一つの「商品」として流通する。消費者としての態度を常に要求してくる資本主義社会の中で個人(インディ)の生産者として振る舞うのはそれだけで新鮮だと思う。
じゃあ、なぜ自分はしないかというと、日記は連続的であることに意味があると思っているから。過去から現在まで読めてしまうのが日記のメリットなのでそこを大事にしたいという感じ。では完全に私的なものとしてあつかってWebで公開しなくてもいいじゃないかという指摘も浮かんでくるが、公開することでうっすらと他者の存在を意識することが重要ではないかと思う。完全に非公開にしてしまうと、自分の言葉、語彙、文章をただメモするだけになってしまう。別にこれでもいいのだが、僅かでも他者の目に触れることを想定すると少しだけ自身との間に距離ができる。自分の考え、自分の文章を誰かに読まれた時の想像がよぎるので、それが自家中毒(という表現が適切かは不明だが自分の考えを再起的に学習し続ける感じ)を防ぐように思う。このちょっとした緊張感が好きで公開日記を書いているのかも。

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